-日常生活とかFF11とか-
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物心ついた時から小学校2年の頃位まで密かにやってた遊び(?)があって、それは、鏡台に映る自分の瞳の奥をみながら「私、私、私…」とずっと呟き続けてると、(たぶん相当寄り目になってたと思うんだけどw)、あるところまで精神を集中させると自分の意識がブラックホールを抜けてホワイトホールに出たかようにぱぁっとした状態になって、それを楽しむ(?)ってものでした。
ただ、そのぱぁっとした状態の中で私自身の気持ちは何故かとてもせつなく、寂しくなって、何がせつないのかというと、必ずその時に思うのが「あぁ限りある短い命に生まれてきてしまった」ってこと。
自分自身が病気で短命ってとかでは決してなくて、自分が「人間」であるということを、まるで他人事のように、自分の魂が幽体離脱して客観的に見てそう思うかのように必ずそんな感覚になって、その遊び(?)をした後は、決まって一人で泣きたくなるぐらいしょんぼりしてました(´・ω・`)
なんだろな、ニュアンスを表現するならば、うをー 気づいたら自分人間やん!数十年したら終わりがきてしまうやん!いやじゃー!って感じ?(^^;
そんな遊びするなって感じなんだけど、意識が最後ぱぁっってなるところまで自分の精神を集中させることの達成感?みたいなものがくせになって、周りに誰も居ない時によくやってましたねぇ。
途中で親から呼ばれたりすると、意識が現実に戻るから失敗なのよね。ちって感じ(笑)
きっとはたから見てたらかなり危ない光景だっただろうなぁ。。。小さい子が鏡に向かってブツブツいってたかと思えば、そのあと放心状態…。
この遊びも、大きくなるにつれてだんだんうまくいかなくなって、今ではたまにやってみてもさっぱりあの状態にはなれないのです。小さい頃限定の遊びだったみたい。
そして最近になって、この手法こそまさにゲシュタルト崩壊の手段だってことに気づいたんだけどね(汗)
自分を他人事のように捉えるって点では確かに認識が崩壊してたっぽい。ただそこで何故人間に生まれてきたことを嘆かないといけなかったのかしら(--;
なにをきっかけにそんな事をやり始めたかも今となってはまったく不明…。
まぁ今でもたまに、自分の手が自分のものと思えなかったり、自分が見ている現実に対して実感が沸きにくかったりする事はあるけど、大人になって同じようにあの遊びを続けるのはもしかしたら洒落にならんのかもしれないね(´・ω・`)
ただ、そのぱぁっとした状態の中で私自身の気持ちは何故かとてもせつなく、寂しくなって、何がせつないのかというと、必ずその時に思うのが「あぁ限りある短い命に生まれてきてしまった」ってこと。
自分自身が病気で短命ってとかでは決してなくて、自分が「人間」であるということを、まるで他人事のように、自分の魂が幽体離脱して客観的に見てそう思うかのように必ずそんな感覚になって、その遊び(?)をした後は、決まって一人で泣きたくなるぐらいしょんぼりしてました(´・ω・`)
なんだろな、ニュアンスを表現するならば、うをー 気づいたら自分人間やん!数十年したら終わりがきてしまうやん!いやじゃー!って感じ?(^^;
そんな遊びするなって感じなんだけど、意識が最後ぱぁっってなるところまで自分の精神を集中させることの達成感?みたいなものがくせになって、周りに誰も居ない時によくやってましたねぇ。
途中で親から呼ばれたりすると、意識が現実に戻るから失敗なのよね。ちって感じ(笑)
きっとはたから見てたらかなり危ない光景だっただろうなぁ。。。小さい子が鏡に向かってブツブツいってたかと思えば、そのあと放心状態…。
この遊びも、大きくなるにつれてだんだんうまくいかなくなって、今ではたまにやってみてもさっぱりあの状態にはなれないのです。小さい頃限定の遊びだったみたい。
そして最近になって、この手法こそまさにゲシュタルト崩壊の手段だってことに気づいたんだけどね(汗)
自分を他人事のように捉えるって点では確かに認識が崩壊してたっぽい。ただそこで何故人間に生まれてきたことを嘆かないといけなかったのかしら(--;
なにをきっかけにそんな事をやり始めたかも今となってはまったく不明…。
まぁ今でもたまに、自分の手が自分のものと思えなかったり、自分が見ている現実に対して実感が沸きにくかったりする事はあるけど、大人になって同じようにあの遊びを続けるのはもしかしたら洒落にならんのかもしれないね(´・ω・`)
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